日本で活躍した戦国武将「本願寺顕如」キャラクター。
いくとせもちぎりかわらぬ七夕の、けふまちへたるあふせなるらん
七夕に妻である如春尼におくった歌。政略結婚であったが夫婦仲が良かったと言われている。
本願寺顕如公は、本願寺十一世門主。父は証如。門跡に任命されてから、手腕を発揮し教団最盛期を築く。
畿内と北陸に本願寺派の寺を築き一向一揆の掌握をした。その一方、管領や公家との姻戚関係を深め、経済的・軍事的にも有効な石山本願寺を拠点として大名に匹敵する一大勢力を作り上げたのである。
そして時の人織田信長と交戦状態に入る…。顕如公は信長を仏敵として一向一揆を誘発。甲斐の武田、越前の朝倉、近江の浅井、その他反織田勢力を迎合し信長包囲網を構築した。包囲網は武田信玄の急死から破錠。しかしその後も上杉、毛利らと伴に包囲網を作り信長を苦しめるが、後和解する。
信長の死後は秀吉とも和解を交わし天満本願寺を建立するが、かつての領主権力は奪われていった…
顕如公没後は、顕如公と意見が食い違った長男教如に変わって三男准如が十二代宗主となる。ここに徳川家康が介入し教如らは「東本願寺」を建立。そして准如の本願寺は「西本願寺」と分裂する事になったのである。