日本で活躍した戦国武将「朝倉義景」キャラクター。
七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空
七転八倒して苦しみもだえた四十年の生涯は、結局他も無く自も無く本来空しいものであった
越前の戦国大名。朝倉11代目最後の当主。天然の要塞都市、一乗谷で過ごし戦いには縁遠い戦国大名であった。義景公の若き頃には名将朝倉宗滴が活躍し、対信長戦でも義景が総指揮をとることはなかった。義景公が指揮をとったのは「志賀の陣」と「小谷救援」のみである。
越前の名族、朝倉氏当主としてのプライドは高かったものの、天下に野望は無かったのかもしれない。足利義昭の亡命からの上洛のチャンスを逃したり、信長の岐阜への撤退をみすみす見送ったりという事柄からも野望の薄さは伺える。
朝倉家100年の栄華は、一乗谷の一大文化圏とともに灰燼と帰した。