日本で活躍した戦国武将「小早川秀秋」キャラクター。
小早川秀秋公は関ヶ原の戦いにおけるキーマンとして後世に名を残す。
西軍であった秀秋公は松尾山に布陣していた。内応していた東軍に寝返ることによって、東軍に勝利をもたらす大要因をつくった。若干19歳の青年が天下分けめの大戦の鍵をにぎっていたのである。秀秋公によって東軍は勝利に導かれた…しかしながら、キーマンゆえに西軍の怒りは集中する。また彼は豊臣一族であった。勝者になったはずなのに、歴史に残る「裏切り者」としての後味悪いイメージを残してしまうのである。
秀秋公は豊臣秀吉の甥として生まれる。秀吉に子がなかったため養子となり秀吉政権を支える一族大名として育てられた。丹波亀山城主であったが、小早川隆景の養子となる。関ヶ原の戦い後は岡山藩55万石を与えられたが、わずか2年後に突如としてこの世を去る。死後は小早川家は取りつぶされる。皮肉にも徳川政権大名取り潰し第1号になってしまった。
秀秋公の兜は、普通は前にある三鍬形であるが後立に用いている斬新なものである。