日本で活躍した戦国武将「蒲生氏郷」キャラクター。
限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風
風など吹かなくても、花の一生には限りがあるので、いつかは散ってしまうのです。それを春の山風は何故こんなに短気に花を散らしてしまうのですか。
才覚ある人物がその命の短さを悔いての辞世の句。氏郷公の無念さが伝わってくる。
蒲生氏は鎌倉時代からの名門。キリシタン大名であり洗礼名はレオン。近江日野城主、伊勢松坂城主を経て最後に陸奥黒川城主になる。
氏郷公は文武両道の才人であり、長生すれば天下人の可能性のある人物であった。
主家の六角氏が織田信長に滅ぼされ、父賢秀が織田氏に臣従したとき一目で信長に才覚を見いだされた。娘の冬姫と結婚し、織田氏の一門となっている。秀吉も彼の器量には一目おいていた。会津百万石に封じ伊達政宗の牽制役という重要な役割を与えている事からも分かる。
「銀の鯰尾兜が常に先頭で戦っている。それに負けない様戦え」と新参者に訓示していた。その銀の兜は氏郷自身であることに士卒は驚いたといわれる。我武者らに先陣きる猪突猛進の武者ではなく、計算された勇猛さであることが伺える。
茶の道でも利休七哲の一人(筆頭)にまで数えられてるほどの才人であった。
家臣からも慕われており、人望、武勇、教養をもった器量の持ち主であった。惜しむらくは40歳という若さで体調を崩し亡くなってしまったことである。