日本で活躍した戦国武将「片桐且元」キャラクター。
大和竜田藩初代藩主。且元系の片桐家初代。
近江国の生まれで、浅井側として信長と戦っていたが、浅井家滅亡後は長浜城時代の秀吉に仕えることになる。
片桐且元公といえば官僚としてのイメージが強いが、「賤ヶ岳七本槍」の一人に列せられる程の武勇の持ち主である。賤ヶ岳の戦い以降は前線での活躍はなく、後方支援の活動で手腕を見せる。秀吉の晩年には豊臣秀頼の傅役に任命され、羽柴姓も与えられている。
秀吉の死後に秀頼を補佐し、豊臣家と徳川家の対立を避けることに尽力する。方広寺鐘銘事件により大阪城からの逐電をよぎなくされ、大阪の役では徳川方として活動する。
且元公は大阪の陣後の20日ほど後に、突如死去する。豊徳両家の仲立ちでの過労ともいわれ、責任を感じての切腹ともいわれている。
且元公所用の「総黒熊毛植兜」は全身熊黒熊毛で覆い、吹き返しは熊の耳をかたどっている奇抜なデザインである。