日本で活躍した戦国武将「山県昌景」キャラクター。
陣のたびたびに初の陣と存じて跡の覚へを棄ててこそ、弓箭全き誉れの武士とは申すべけれ
合戦に赴くときはいつも初陣のような覚悟、初陣の様な慎重さで挑んだ。これが山県公の強さの理由のひとつであった。
武田信玄の家臣、武田四名臣の一人である。三方ヶ原の戦いにおいては徳川家康が脱糞してしまった程恐れさせ、また野戦や城攻めでみせる采配ぶりは武田信玄を感嘆させるほどの能力をもっていた。また彼は合戦や軍略のみならず内政や外交などあらゆる面で活躍した武将であった。
彼は飯富虎昌の弟であったが(甥という説もある)、親族である虎昌のクーデターを抑え誅殺。この功績により虎昌の赤備えを引き継いだ。武田軍の赤備えは山県公によって最強部隊の代名詞となり諸大名に大きな影響を与える事になる。
そんな山県公。意外や意外、身長は130cm〜140cmほどの小男であった。小男なれども、武田軍最強の赤い巨人であったことは言うまでもない。