日本で活躍した戦国武将「真田幸村」キャラクター。
さだめなき浮世に候へ者 一日先は知らざる事
我々事ばどは浮世にあるものとは おぼしめし候まじく候
定めなき浮世に居る身、一日先の事さえ分からない。
我々のことなど、浮世に居ないと、考えていて欲しい。
真田信繁。父は武田二十四将の一人真田昌幸、兄は松代十万石の祖真田信之である。実は幸村公は日本の歴史の中で大きな実績をあげてはいない…。幸村公を一躍有名にしたのは大阪の陣での活躍があったからである。劣勢の大阪方にあって、徳川幕府の大軍から何度も勝利をおさめ、さらには家康本陣に肉薄し真田勢の凄まじさに家康は自害を覚悟したほどまでにおいつめた。しかし、最終的には数で勝る徳川軍に追い詰められその生涯をとじることになる。
徳川氏支配の江戸時代になってからも、判官びいきで豊臣氏に哀悼を示す庶民にとってこの幸村の活躍は、溜飲を下げる出来事であったに違いない。