日本で活躍した戦国武将「清水宗治」キャラクター。
浮世をば 今こそ渡れ武士の名を 高松の苔に残して
浮き世を渡りあの世へ行こう。武士としてその名を高松の苔の様に長きに渡り残す、今こそがその機会なのだ
清水宗治公においては切腹の概念を大きく変化させた人物だという印象がある。
織田信長の家臣である羽柴秀吉が中国攻めを命じられた際、毛利家の家臣である(小早川隆景の配下)宗治公が城主を務める備中高松城を水攻めにした。黒田孝高が策をたてた水攻めは成功し高松城は落城寸前に追い込まれるが、宗治公ら高松勢は一丸となり籠城を続けていた。
しかしここで、本能寺の変が起こる。急遽京に返さなければならない秀吉は、毛利勢に信長の死を悟られぬ様行動する。宗治公の命を条件に高松城の城兵救助の提案をしたのである。
宗治公は条件をのみ。毛利勢と羽柴勢の数万が見守る中、小舟で水上に漕ぎ出し、舟の上で簡素な酒宴を開く。誓願寺の舞を舞った後、みごとな切腹を果たしたのである。