日本で活躍した戦国武将「小早川隆景」キャラクター。
分別は久しく思案して遅く決断すべし。
分別の肝要は仁愛にあり、断ずるには仁愛を基とせざるべからず。
思案に時間をかけた決断なので、後悔することはない。長く思案するのは、この決断は人として誤った道ではないかということを考えるためである。
毛利元就の三男。次兄吉川元春とともに毛利宗家を中央で支え毛利家の両川と称されている。
長兄の毛利隆元が急死したのち、甥の輝元が家督を継ぐと、元春とともに幼少の輝元の補佐にあたった。元春が軍事面を担当し、隆景公は政務・外交を担当した。また毛利水軍の指揮官としても働いている。
豊臣政権下では豊臣秀吉の信任厚く、五大老と並んで豊臣政権を支えている。文禄3年に秀吉は甥・羽柴秀俊(小早川秀秋)を毛利輝元の養子にしようと画策。秀吉の深意を阻止するべく、自分の養子にしてしまった。
隆景公は知勇兼備の人であった。小早川隆景のある限り毛利家の政道は乱れないと評されるように、冷静かつ人望の高い人物であったことが伺える。毛利家はこの両川を失ってから防長二国への減封を招くことになる。