日本で活躍した戦国武将「宇喜多秀家」キャラクター。
涙のみ 流れて末は 杭瀬川
水の泡とや 消えむとすらむ
関ヶ原の戦いでの悔いを歌ったものであろうか。本人の作でなく後世の人がつくったという説もある。
宇喜多秀家公は備前岡山の大名。豊臣政権の五大老の一人。
斎藤道三・松永久秀と並び戦国の梟雄と称される宇喜多直家の子である。
秀吉の養子となった秀家公は、秀吉の庇護のもと五大老という地位を得た。しかし、家臣の統率の失敗や秀家公自身の素行の問題から騒動が勃発。そんな苦難の中「関ヶ原の戦い」に西軍の副将格として参戦するも破れてしまう。
そしてここから八丈島における50年の流人生活が始まる…。
豊臣家の高い地位を約束された御曹司から一転の流人となった転落人生を味わう事になるのだ。しかし、離れて暮らす妻の豪姫(加賀藩)はじめ旧家臣の助けを受けながら83歳という高齢まで生き抜いた。
地元民からは好々爺として知られていた秀家公。彼は常人がとうてい味わう事ができない多くの体験をとおし、その人生を昇華したに違いない。