日本で活躍した戦国武将「鳥居元忠」キャラクター。
我が身にのしかかる重大事は
精神をさかんにして腰をすえ
無二無三に踏み破って突き通らねば
らちがあかぬものである
鳥居元忠公は徳川家康が幼少の頃からの側近の一人であった。父は鳥居忠吉。
徳川四天王には数えられてはいないが、徳川軍七将として名を連ねている。
元忠公といえば、なんと言っても関ヶ原の戦いの前哨戦である「伏見城籠城戦」であろう。
わずか二千たらずの兵で、西軍数万の軍に対峙した。なんと13日間も持ちこたえ、西軍の足止めをしたのである。この功によって西軍の予定は大きく崩れた…そして関ヶ原の戦いにおける東軍の大勝利へと繋がったのである。元忠公は当初より玉砕覚悟であたり、そして最後は鈴木重朝との一騎打ちにて華々しく散っていく。享年62歳。
徳川家康が今川家の人質の時より付き添った元忠公のみがなし得る役目であった。彼の忠節は「三河武士の鑑」と後も語り継がれて行くのである。