日本で活躍した戦国武将「明智秀満」キャラクター。
明智光秀の重臣であり女婿。明智秀満を名乗る前は三宅弥平次と称していた。
織田信長を討った本能寺の変では先鋒をつとめ、羽柴秀吉との山崎の戦いでは光秀の後詰めをつとめるも敗北。坂本城に入って後、財宝を包囲軍に渡し、光秀の妻子を刺し殺した後自害した。享年47歳。
明智光秀の従弟にあたる明智光春と同人物とされることもあるが、光春は「明智軍記」のみに登場する人物であり、実在していたかは定かではない。
秀満公といえば「明智左馬助の湖水渡り」という伝説が有名である。山崎の戦いのおり、光秀の妻子ら一族の立籠る坂本城に向かうべく、乱戦の中、湖へ騎乗のまま乗り入れた。「溺れ死ぬぞ」などといった、敵兵の嘲笑や罵声を浴びながらも、なんと琵琶湖を馬で渡りきったのである。
もうひとつの伝説として、秀満の子、太郎五郎が坂本龍馬の先祖という説もある。
おもしろい伝説が多いにも関わらず、出自から最期まで謎が多い人物なのである。