日本で活躍した戦国武将「朝倉宗滴」キャラクター。
武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候
朝倉宗滴公は、越前戦国大名朝倉氏の一族である。
朝倉氏当主である朝倉貞景・孝景・義景を3代に渡り一族の重鎮として補佐した。
18歳で初陣を飾ってから各地を転戦し続け、その武名を轟かせた。なんと、79歳の没する年まで戦場に立ち続けたという脅威の名将である。
永正3年の一向一揆(九頭竜川の戦い)では30万人を上回るといわれた一向宗勢力を、朝倉軍1万弱ほどで対峙し勝利をおさめた。この他にも若狭守護の武田氏を助け反乱の鎮圧したり、浅井亮政の牽制のため小谷城在陣。六角氏と浅井氏の調停役を務めたり…、とにかく転戦につぐ転戦の生涯。まさに戦いの中に身をおいた武将であった。
武士は犬とも畜生とも言われようとも勝つ事が肝心…。と、武士の本分たるは何かという確固たる言葉を残している。この凄まじい言葉からも、宗滴公の人となりやその職務に対する覚悟が分かる。