日本で活躍した戦国武将「脇坂安治」キャラクター。
脇坂安治公は近江出身の武将。賤ヶ岳の七本槍の一人であり七人の中では最年長であった。
最初は浅井長政に仕えていたが、浅井氏滅亡後、織田家の明智光秀の与力として黒井城攻めで勲功を上げる。
この後羽柴秀吉の家臣となり、「三木城攻め」「賤ヶ岳の戦い」と功を重ねていくのである。
九州征伐、小田原征伐や朝鮮出兵などでは、九鬼嘉隆や加藤嘉明らとともに、水軍の指揮官として活躍する。関ヶ原の戦いにおいては当初西軍に所属、小早川秀秋の寝返りに呼応して東軍に加担。戦後家康から所領を安堵された。この寝返りは合戦前から藤堂高虎と内応していたものであり、単に流れに乗じた寝返りではないとされている。
慶長14年、伊予大洲藩5万3,500石に加増移封された。大坂の陣では徳川・豊臣のどちらにも参加しなかった。豊臣氏に恩義を感じ、それを行動に移したのであろうか…。