日本で活躍した戦国武将「真柄直隆」キャラクター。
越前、朝倉氏の家臣。朝倉家随一の猛将で、黒鹿毛の馬にまたがって五尺三寸(約175cm)もある太刀「太郎太刀」を振り回し戦場で暴れ回った。この大太刀で人馬もろとも斬りつけたといわれている。
姉川の戦いにて、崩れたつ朝倉軍を支え太郎太刀を振りかざし奮戦するが、朝倉陣営の敗戦が濃厚になると味方を逃がすべく単騎徳川軍に突入し、12段構えの陣を8段まで突き進んだ。戦に強い三河武士も水車のように太郎太刀を振り舞わす直隆公に攻めあぐんだ。しかし向坂三兄弟が3人がかりで直隆にかかんに攻めかかる。老齢を圧しての戦闘(59歳といわれている)、疲労…さしもの直隆も力つき打ち取られてしまうのである。「我頸を御家の誉れにせよ」と敵に頸を献上して果てた猛将らしい最後だった。彼を討ち果たした太刀は「真柄斬り」と名付けられている。
直隆公の子である真柄隆基も四尺七寸(約167cm)次郎太刀で参戦していたが、父と同じく戦死している。
現在太郎太刀は現在愛知県熱田神宮に、次郎太刀は石川県白山比神社に収められている。
兎角名刀に縁がある武将である。