伊達氏家臣。家中では「武の伊達成実」と並び「智の片倉景綱」と呼ばれた。景綱公は人取橋の戦いをはじめ関ヶ原の戦いまで政宗の主要な戦いの大半に参加し、いずれも伊達氏の危難を救っている程の戦上手、戦だけでなく諸事における見識も豊かで、10歳年下の政宗は彼の意見によく耳を傾けたといわれている。戦に長け知謀にも満ちた片倉小十郎景綱は伊達政宗の軍師として長年重用される。
秀吉の小田原攻めの時に、そこに伺候して臣下の礼をとるべき道を訴えたのも景綱公でありここでも伊達家を救っている。景綱公は戦国屈指の名参謀なのである。