古来より稀なる年にここのつの あまるも夢の中にぞありける
伊達政宗の重臣で、仙台藩一門第二席・亘理伊達氏の初代当主。父は伊達実元である。家中では「智の片倉景綱」と並び「武の伊達成実」と呼ばれた。伊達政宗とは年も近く兄弟のように仲が良かったようであり、それを裏付ける手紙のやりとりも残っているようである。人取り橋の合戦をはじめ政宗の仙道制覇に多くの大功をたてた成実公は、さまざまな謀略にも貢献し、智勇両面で活躍も目覚ましかった。武一辺倒の武者ではなかったことがわかる。伊達政宗の覇業をたすけるため、七十九年の生涯を終えるまで戦陣で一生をついやした武将であった。