日本で活躍した戦国武将「前田利家」キャラクター。
戦場に出でては、わが思う様にして
人の言うことを聞き入れむがよし。
本番では、人の言うことばかり気にしていると、自分の持ち味がでないものである。自分の力を発揮するためには自分らしく行動出来る場面をつくり出すとよい。
加賀藩主前田氏の祖。妻は斯波氏の家臣高畠直吉の娘、芳春院(まつ)。織田信長に小姓から仕え、青年時代は赤母衣衆として従軍する。若い頃は喧嘩好きで派手好み、6m30cmほどの槍をもっていたかぶき者であった。また槍の名手であり「槍の又左」の異名を持っていた。柴田勝家の与力として、北陸で活躍していた頃に能登にて23万石の大名となる。本能寺の変によって織田信長が討たれた後、はじめ柴田勝家につくが、後に羽柴秀吉に臣従する。豊臣家の宿老となり秀吉より加賀、越中を与えられ加賀百万石の礎を築く。豊臣政権では五大老の一人となる。
利家公は弱肉強食の戦国時代の中で、多くの武将から信頼され人望の高い大名であった。秀吉の死後、徳川家康がもっとも警戒したのは利家公の人望だったのかもしれない…。