日本で活躍した戦国武将「前田利益」キャラクター。
七年の病なければ
三年の藻草も用いず
雲無心にしてくぎを出るもまたをかし
詩歌に心無ければ月下も苦にならず
寝たき時は昼も寝
起きたき時は夜も起きる
九品蓮台に至らんと思う欲心なければ
八幡地獄におつべき罪もなし
生きるだけ生きたらば
死ぬでもあらうかと思ふ
前田利家の義理の甥。利益の実父は滝川一益の一族。武勇兼備の将であったが、奇矯な振る舞いを好む傾奇者であった。前田利益公に関する一次史料がほとんど存在せず、実際は事績に不明な点が多い、現代における人気は小説や漫画等の影響が大きい。そんな利益公は、はじめ前田家に仕えるが出奔。京都で浪人生活を送りながら多数の文人と交流したという。後に上杉景勝とその執政直江兼続の知遇を得て、上杉家の禄を食む。関ヶ原の役で長谷堂城の戦いに出陣し、畑谷城攻めや撤退戦で功を立てたとされる。
晩年は兼続とともに「史記」に注釈を入れたり、和歌や連歌を詠むなど自適の生活を送ったと伝わる。