日本で活躍した戦国武将「高橋紹運」キャラクター。
流れての末の世遠く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水
かばねをば岩屋の苔に埋みてぞ 雲ゐの空に名をとゞむべき
高橋 紹運公は豊後大友家の家臣。
初め吉弘 鎮理という名であったが、高橋家を継ぎ性が高橋となる。
実父は吉弘鑑理であり、立花道雪、臼杵鑑続との3人で「豊後三老」と言われていた。実子は立花宗茂。立花道雪に請われ嫡男の統虎(立花宗茂)を養嗣子として引き渡す。
立花宗茂は器量もあり、高橋家の大切な嫡男。もちろんの事この要請を拒否していたが、紹運公にとって父のような道雪の要請をついには受け入れた。
紹運公は大友家を代表する立花道雪に勝るとも劣らない猛将であった。島津氏が2万ともいわれる大軍を率いて岩屋城を攻めたてた、これをたった763名ほどの兵で半月のあいだ防衛し続けたのである。この徹底抗戦のおかげで、豊臣からの援軍が間にあい、立花宗茂が守る立花城は事なきを得た。
この時戦った763名は全員討死。紹運公も玉砕を果たす。これが戦国史に残る苛烈な戦いとして名高い「岩屋城の戦い」である。