立花道雪や高橋紹運をはじめとする優れた家臣団や、海外貿易で得た豊かな経済力で九州6ヶ国を平定。一時は九州における最強の大名であった。また、キリスト教を信仰し洗礼を受け、キリシタン大名となる。
キリシタン王国を豊後に建設する半ば、島津氏との抗争にに破れてしまう。九州における天下分け目の耳川・高城河原での戦いで多くの重臣を失い、末は豊後さえ蹂躙されそうになる。秀吉の島津討伐により間一髪救われるが、子の義統の代に改易の憂き目を見る。果たして大友宗麟公は名君なのか?暗君なのか?…とにかく、浮沈の激しい戦国大名であった。