山本勘助公は武田信玄の伝説的軍師として知られている。武田二十四将にも含められ、武田五名臣の一人。
隻眼で足が不自由、身に八十六カ所もの傷がある小男という風采のあがらない人物であったが、武田信玄の懐刀として奇才を放ち軍功を残したといわれている。
川中島の戦いでは有名な「啄木鳥戦法」をとるも、上杉謙信に見抜かれた。勘助公はその責を負い敵中に突入をして討死を遂げる。
武田家臣の中で抜群に知名度が高い勘助公であるが、彼については謎が多い。一時は架空の人物とさえ言われた。『市川文書』にてその実在は確認されたのだが、彼が武田軍の中でどれほどの活躍があったのかはしっかりとは分かっていないのである。