日本で活躍した戦国武将「豊臣秀長」キャラクター。
豊臣秀長公は豊臣秀吉の弟であり、兄の政権樹立に大きく貢献した片腕でもあった。
内政面・軍事面ともに能力が長け、多方面で辣腕を振るうような逸材であるに関わらず、性格は温厚で多くの武将に慕われていた。最終的には110万石の大大名にまで栄達し、官位も従二位権大納言に栄進した。このことから大和大納言と尊称された。
四国平定は秀長公が総大将をつとめ、わずか2ヶ月ほどで平定。続く九州平定戦も先鋒の大将をつとめた秀長公がおおむね完了するという手腕を見せた。
しかし天下平定の半年後に病没してしまう。あまりにも早い死であり、豊臣政権に与えたダメージは大きい。
秀長の死後、利休の切腹や朝鮮出兵、秀次抹殺と豊臣政権に陰りが見えはじめる。秀長公の早逝が直接の原因ではないが、彼がもう少し長命であったなら豊臣家はこれほど早く滅亡はしなかったであろう。