日本で活躍した戦国武将「今川義元」キャラクター。
夏山の茂みふきわけもる月は
風のひまこそ曇りなりけれり
夏山の茂みに月の明かりが入ってくるけれど、風がやんでしまうと茂みにはばまれてみえなくなってしまうなぁ
※辞世の句ではないですが桶狭間の年によまれた義元公らしい無邪気な一句です
桶狭間の戦いにて急襲を受けまさかの討ち死にをした今川義元公。これで信長は名を上げ天下に向かうきっかけとなった、そしてみじめな負けをみせた義元公は後世においての評価とイメージが下がってしまった。あたかも信長にとって名脇役となってしまった…。しかし、実は義元公は武田信玄や北条氏康にひけをとらない戦国大名だったのである。領国においては駿河・遠江・東三河から、西三河や尾張の一部にまで勢力を伸ばし、領国経営においては寄親・寄子制度を設けての革命的な軍事改革を行い、外征面でも優れた能力を発揮して、戦国時代における今川家の最盛期を築いた人物なのである。