日本で活躍した戦国武将「本多忠勝」キャラクター。
思慮なき人も、思慮ある人も功名するなり。思慮ある人の
功名は士卒を下知し、大なる功名を遂ぐるものなり。
思慮ある人は士卒に下知して大きな手柄を立てるが、思慮なき人は槍一本の功名を得るだけに止まり大きな手柄は立てられないものだ。
徳川家家臣。徳川四天王・十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣とされる。
「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」との狂歌の落書をもって賞賛されたことが有名である。生涯において参加した合戦は五十七回に及んだが、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられている。
鹿角脇立兜をかぶり、止まったトンボさえも真っ二つになるという名槍「蜻蛉切」を片手に、家康とともに主要合戦にはほとんど参陣した猛将。出陣時に大数珠を身につけていたのは、自ら葬った敵を弔うためであったといわれている。