日本で活躍した戦国武将「武田勝頼」キャラクター。
おぼろなる月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの西の山のは
ほのかに雲がかかって朧ろに霞んでいた月も、やがて晴れてゆき、西方浄土を目指して行くかに見える
甲斐武田家第20代当主。
武田信玄の四男で、信玄亡き後武田家の家督を継いだ。
武田勝頼公といば、戦国屈指の武田家を滅亡させてしまったということで凡将のレッテルを貼られることになってしまったが、信玄が攻略できなかった高天神城を陥落させたり、武田家の分国の版図を広げたりと父にも増して精力的に活動をしていた。
信玄譲りの才能を持ち合わせながら武田家を滅亡させてしまったのはなぜだろうか?
一部では絶えず兵を動かし、国力が疲弊してしまったという見方もある。また、長篠の戦いでの無理な突撃の繰り返しに見られる様に、自身過剰な部分があったという勝頼公の性格に起因するという見方もある。
一概にどれとは言えないが、やはり父、武田信玄の存在は大きく器の違いがあったのであろうか…。また、中世戦国時代の有り様を変革させた織田信長の存在が大きかったのであろうか…。