日本で活躍した戦国武将「後藤基次」キャラクター。
次勝てばそれでよし
一揆鎮圧の戦いで破れ、怒る黒田孝高に黒田長政とともに詫びを入れた時のこと、長政は頭を丸め謹慎したが、基次公は平然とこの名言を吐いた。ポジティブな思考と伴に、次に懸ける意気込みが見える名言である。
後藤基次公は黒田氏、豊臣氏の家臣。通称を又兵衛という。幼少から黒田孝高に使え数多くの軍功をあげる。「黒田二十四騎」「黒田八虎」の一人。六尺を超える巨漢で、槍に長けていた為「槍の又兵衛」とも呼ばれていた。
黒田孝高の幽閉により、次に仙石秀久に使え、後黒田家の家臣に戻る。しかし、孝高の子・長政と折り合いが悪く出奔する。基次公の武勇や知謀を惜しんで数々の大名から召し出しがあったが、長政の妨害に遭い長い浪人生活に入る。乞食の身となるほど生活に苦しんだという説もある。
しかし歴史は彼を放ってはおかない「大阪の役」にて、華々しい働きを魅せる。徳川家康からの法外な恩賞の条件を感激しながらも蹴り、散りゆく豊臣家の中で大輪の花を咲かせ壮絶に散った。この最後があったからこそ「後藤又兵衛」の名が世に知らしめられたのである。