願わくは、我に七難八苦を与えたまえ
山中幸盛(鹿介)公は戦国大名尼子氏の家臣。主家尼子氏の復興に生涯を捧げた不屈の武将である。「山陰の麒麟児」と呼ばれた美男子であったと伝えられる。
数々の苦難を重ねながら、概ね3回に渡って主家の復興運動をした。一時的に主家を再興させるも、最終的には信長に利用されたかたちとなり、主人である尼子勝久は自害、幸盛公も護送中に毛利家に殺害されてしまう。幸盛公の必死の努力も虚しく尼子家再興は果たせぬ夢となってしまった。
主家再興に奔走している時期に「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話はあまりにも有名である。