日本で活躍した戦国武将「吉川元春」キャラクター。
律義を旨とし、智少なく勇のみある者は単騎の役にはよいが、大将の器ではない。数千の将たる者は、自分の小勇を事とせず、智計において、人より勝る士でなければだめである。智勇あわせ持たずに、どうして百千の軍兵を指揮できようか。
毛利元就のニ男。のちに吉川氏に養子。吉川氏を継ぐ。
三男小早川隆景とともに毛利宗家を中央で支え毛利家の両川と称されている。
元春が山陰方面,隆景が山陽方面の軍事を担当していた。
合戦におよんでは76戦64勝12分という戦績を残しており父、毛利元就も「戦では元春に及ばない」と評するほどの猛将であった。また、尼子氏討伐の陣中において「太平記」40巻を書写している知勇兼備の人物である。
九州征伐に参加した際、出征先の豊前小倉城の二の丸にて死去している。死因は化膿性炎症。享年57歳。