日本で活躍した戦国武将「相馬義胤」キャラクター。
相馬義胤公は平将門を祖先とする名門相馬氏の16代当主。伊達家やその周辺領主との抗争にあけくれていた。お家存亡の危機にさらされることもあったが、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、4万7千石を安堵され命脈を保つ。
しかし関ヶ原の合戦において、中立の立場をとったが、東軍に参戦しなかったため西軍とみなされ、2年後に改易されてしまう。
その後改易撤回の訴えをおこす。徳川家重臣本多正信のとりなしもあって改易は撤回された。義胤は隠居し、子の利胤が6万石の所領を安堵されたのである。