老臣権を争うは亡国の兆しなり
徳川家家臣。徳川四天王・十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣とされる。
本多忠勝とは同年齢であったことから仲が良く、親友関係にあったという。野戦・城攻め、どんな戦においても先鋒を務めた、忠勝や直政にも劣らない名将なのである。
また康政公は能筆家としても知られ、家康の書状もよく代筆したとされる。小牧・長久手の戦いでは檄文をしたためて秀吉を激怒させ、康政公の首に10万石の賞金がかけられたことは有名である。後、秀吉にその人物を愛され妹の旭姫の婚礼のときに結納の使者として任命されている。